こんにちは!
今回は、運に関するお話をしたいと思います。
みなさんは以下のような言葉を聞いたことはないでしょうか?
「人間、誰しも持っている運の量は一緒だ」
「人生全体で見たら、運は一定量に収束するようにできている」
↑何か本で読んだことがあるとか、テレビで聞いたことがあるとかで、なんとなく知ってたという方も多いと思います。
でもこの話が嘘だといわれたら…?
というわけで本記事では
人の運の総量は一定か?というテーマで、ちょっと変わった観点からその真偽を見ていこうと思います。
これについては諸説ありますし、どの理論を信じるかはあなた次第ですので、あくまで「こういう考え方もあるんだな」程度に受け止めていただけましたらです。
目次
運の総量という考え方
まず、「運はみんな一定だ」という考え方を軽くおさらいしておきましょうか。
要は、誰しも持っている運の総量は一緒で、最終的に帳尻が合う、という考え方です。
例えば、小さい頃学校になじめず、いいことがあまりなかった子が、大人になってからたくさんいいことに恵まれて、最終的にトントンになる、みたいなパターンですね♪
…が、本当に全員が全員、そういう人生を歩めるのでしょうか?
生まれてから死ぬまでず~~~っと運に恵まれ続けている人もいれば、なぜか運という運に見放され続ける人もいますよね?
というか、この記事にたどり着いた方の中には、半ば「運は一定っていうけど、ほんとかぁ?」と、少なからず疑念を抱いている方も少なくないハズです。
正直、毎日を生きていると、「運って、平等じゃないよなぁ…」と思わされることが結構あったりしますからねw
では、実際のところどうなのでしょうか?
次の章以降で、より具体的な話へ移っていきたいと思います。
(ここからのお話は、「運は一定」派の方には少々ショッキングな内容かもしれませんのでご注意をw)
運は平等じゃない!?
実は、「運は一定」理論に対抗する「運は一定じゃない」理論って、探してみると結構ゴロゴロ見つかるんですねw
芸能人の方が言っていたり、自己啓発本に書いてあったり、出どころは様々ですが、意外とあります。
ちなみにですが、私も以前までは「運は一定」派の人間だったんです。
…が、とある理論に出会ってから、価値観というか考え方が180°変わってしまったんです!
その理論は、なんと統計学の見地から 運は一定じゃないことを説明したものでした。
「統計学ぅ? なんか難しそう…」と思われる方もいらっしゃるかもですが、そこまで難しくないのでお付き合いください♪
【統計学から見る「運は一定じゃない」理論】
例えば、サイコロを振るゲームをするとしましょう。
サイコロを1つ振って、「1」が出たらあたり。5回振って、「1」が出た数だけ景品がもらえるものとします。
こういうゲームをすると、人によって結果がすごくばらけるんですよ。
要は、人によっては4回。もしくは5回とも全部1が出て当たりまくる人もいれば、1回も「1」を出せない人がいるんです。
サイコロで「1」が出る確率は1/6ですから、5回振れば1回は「1」が出てもおかしくないくらいの確率なのに、人によって結果が全く違うんです。
なぜこういったことが起きるのかというと、5回というチャレンジ回数が統計学的には少なすぎるんですよ。
極端な話、1万回サイコロを振ったら、全員がだいたい同じ回数「1」を出すという結果に収まりますw
ですが、5回という少ない回数だとどうしても確率が平均に収まらず、人によってばらつきが出てしまうというわけなんですね。
この話から何が言いたいのかというと、これが丸々人生にも置き換えられるからなんです。
人生を80年と見たとき、その中で運がかかわってくるタイミングってたくさんありますよね?
…たくさんあるように思いますよね?
が、実は、これも統計学上全然少ないんですよ 汗
つまり、80年という人生の中で人の運が一定に収まるには、運が試されるチャレンジ回数が少ないということです。
一説には、人の運が一定に収束するには100万年寿命がないと無理ともいわれていますからねw
そのため、人生80年の中の運がかかわるチャンスをたまたまうまくつかめた人は運が良いまま人生が終わりますが、チャンスを活かせないと運が悪いまま人生が終わってしまうということなんです。
(↑この説明でご理解いただけますでしょうか?)
こう考えると、運自体が一定なのではなくて”運がかかわるチャンス(=チャレンジ回数)が一定”という風にも考えることができます。
→「運が試されるチャンスはみんな平等におとずれるはずだから、そのチャンスをしっかり掴んでいこうぜ!」と考えるといいですね♪
運は一定量で決まっている…は嘘?
もう一つの「運は一定じゃない」論として、「そもそも人によって『運がいい』と感じるものさしが違う」という話があります。
例えば、「道端で100円拾う」という日常の一コマをとってみても、
小学生の男の子なら「よっしゃ~!ラッキー!」と大喜びするかもしれませんし、
今月金欠で困っている大学生なら「お♪」とちょっとだけ喜ぶでしょう。
会社に勤めて何年もたつベテランサラリーマンならそこまで心躍ることはないでしょうし、
大金持ちの人なら100円ぽっち、拾うことすらしないかもしれませんw
このように、人によって「運がいい」と感じる尺度が違うので、究極のところ
“自分が運がいいのか悪いのかを決めるのは、自分自身”ということになります。
私、この考え方が結構好きでして、とても前向きな感じがするんです♪
先の「統計学的に運は一定じゃない」というお話も確かに納得できるのですが、理論の根幹にあるのは成功者への妬みのような気がしてしまうんですよ 汗
一方、こちらの考え方は、自分の気の持ちようでいくらでも変えていくことができますからね♪
(※みなさんは、自分自身がしっかり納得したものを信じるようにしてくださいね~)
まとめ
今回は、運は一定?というテーマでお話ししました。
この手のお話は正解とか不正解はありませんので、好きなものを信じるようにしていただければと思います。
何かのご参考になれば幸いです♪